無題
いつだったか・・新橋で道を聞かれて・・それも、新橋から越後湯沢までという
それはアメリカの方で、スキー大好きで初めて日本の雪で滑るためにワクワク訪れた方だった
笑ったなー。そこで、ちょいとホテルのバーで一杯飲んで世間話したんだー
バツイチの方でお子さんの写真も見せてもらって、アドレスも交換しちゃった、瞳の優しいひとだったから
そして、その後、新潟の雪の素晴らしさを報告してもらったっけ
それから、お子さんにユニクロのT シャツ送ってあげたら、すごく喜んでもらえた(日本の、喜んでいただけるアイテムだと)その後も、大好きな旅先からの写真とか、折々、お便りをくださって、こんな付き合いってあるんだなー、と思っていたら早10年経っていた
今回のcovid-19についても、連絡くださって・・ご無事でなにより。それ以上に、お兄もことも高齢なので、「今も一緒かな?」という言い方で聞いてくれたのが・・あらためて優しいな・・と。ちゃんとお兄の名前も覚えていてくれて「元気で一緒にいてくれますよ」と返信した
これを下書きしてから数日。お兄は天国に召されました。あとひと月で19歳でした。直前までいつものように、むしろ、元気にごはんを食べて、良いうんちもして、チーもして、ぐっすり眠っていたのに。。。
その死を受け入れることができず、泣くこともできない。泣いたら、気が狂うくらい泣き叫んでしまいそうだから。考えたくない、考えたら後を追ってしまいそうだから。バッカスも救ってくれない、身体が悲鳴を上げているから。愛する存在があっちに逝ってしまう度、生きることへの執着(もともとなかったけど)が薄れていく。この世に私を留めているのは、姫への愛と責任感だけ。だって、あっちの方がどんなに幸せか本能で分かっている。生きていることが辛すぎる。何かをしていないとどうかなりそう。
お兄が息を引き取った日は、先代のにゃんこ(18才と5か月、穏やかで人懐こい本当に素敵な男の子だった)の命日と、しかも朝方と言う時間まで同じだった。365分の一、こんなことってあるんだろうか。そこにどんな意味があるのか、命は亡くなる日を決めて生まれて来たって本当なんだろうか。お兄が天に召される、その日は必ず来ると、それは私の死より先ではないとダメ!という想いでがんばってきたけど、受け入れることができない。それほど、全身全霊で愛した。
あの事件・・・ [トホホな話]
以前、自民党関係者と話をした時、「私、自民党キライなんで」「わ~、はっきり言ってくれるね~」「特に、森喜朗あんな人望のない人間を奉っている所も許せない所ですね」そう言ったことがあったわ
今に始まったわけではなく、数々の唖然とするような発言(失言、ではない、思ってること言っちゃってるだけ)、えひめ丸の事故が起きた時もへーきでゴルフしている危機管理どころか人格疑う言動。。。(ちなみに2月10日に起きたことだったんだ。。。と感慨)を続け、利権の祭典オリンピックを牛耳り続けていたことにも本当、辟易していた
そして、今回のこと・・・代表は退いても多分、陰で牛耳り続けるんでしょうね・・・何も期待していませんオリンピックで甘い汁を吸ってる輩が急にテレビに出まくってるのも吐き気がするわ
最初はコンパクトでお金をかけないというコンセプトだったのに、どんどん膨大な経費が増し、そんなオリンピックより復興が先ってずっと言い続けてきたけど、今は、コロナ禍で瀕死の人々に使うべきでしょ
いみじくも、プチ鹿島センセイのコラムで「森喜朗ファミリーマフィア説」を読んだ。まさに森喜朗と言えば、「押尾学事件」ドラッグで瀕死の女性を救助せず、懲役。出所後の羽振りの良さは・・・当時、現場にいたのではと言われているのが森喜朗の息子。それを被って押尾学が多額のお金を得たとかいう噂ファミリーマフィア的なエピソードですな~
ついでにバッハもロクなもんじゃないねー音楽の父が泣いてるわ
シャンパン♡ブランチ [お酒]
わたしが住む町の迎賓館ともいえるフレンチレストランで、緊急事態宣言の間、ランチボックスを提供するそうで、早速予約
シャンパンを冷やして、穏やかな日差しが注ぐ午後、幸せなシャンパンブランチでしたー
本日のメニュー
おこもりが楽しすぎる・・・